北山 悠祐(大阪府柏原市出身) チェロ講師


生い立ち

 1978年、大阪府柏原市で僕は生まれ、6歳までそこで過ごしました。僕の幼少期の頃の柏原市は、スーパーではなく個人商店がたくさん集まって市場になっていたり、神社のお祭り、駄菓子屋さん、懐かしい昭和の匂いがしていたと思います。

 子どものころは、青色と戦隊モノが大好きで、音楽には目にもくれず友達と遊ぶ事に夢中になっていました。
親からの「ピアノを習わないか」という誘いを何回も断っていたのを覚えています。

 その後、小学校に入る頃に両親の仕事の都合で大阪府八尾市に転居しました。新しい家は大阪平野が見渡せる高台にあり、自然が豊かに広がっていました。
 樹齢何百年経っているのだろうという木があったり、ホタルを近くの田んぼに見に行ったり。学校帰りには寄り道、迷子になったりしました。犬や猫を飼ったり、公園にカブトムシ、ザリガニを取りに行ったりという毎日を過ごしました

 

チェロとの出会い

 僕とチェロとの出会いは、小学4年生の頃です。住んでいた家の近くに、音楽好きの一家が引っ越してきました。その一家と家族ぐるみの付き合いとなり、その家にチェロの先生が教えに来ていたことがキッカケで、チェロのレッスンを週1回のペースで受けることになりました。

 はじめたころは、訳もわからず弾いていたと思います。それでも少しずつ上手になっていく楽しさと楽器の音が身体に響く感覚が好きでした。

 

オーケストラの思い出

 チェロをはじめて1年半位経った頃、青少年オーケストラに入団しました。
クラシック音楽には馴染みがなかったのですが、小学生ながら実際弾いてみると曲の良さがわかってきたように思います。曲の構成、旋律の繋がり、和声の流れ、何百年前の作曲者の意図や心情が伝わり、肖像画では怖そうな作曲家たちも身近に感じられました。

 オーケストラでは「交響曲」「協奏曲」「歌の伴奏」等を演奏しました。そのなかでも一番楽しかったのは「協奏曲」で、演奏会ごとにオーケストラとソリストの方とでモーツァルト、ベートーヴェン、グリーグ、メンデルスゾーンなどの名曲を一緒に弾くことができました。

ソリストが入ると、指揮者とオーケストラだけで練習するのとは違い、雰囲気が一変します。芳醇な響きや、意志のある音が広がり、子供ながらに「この人は魔法使い?」くらいに思ってしまう事もありました。

クラシックの名曲に触れ、上手なソリストの方と演奏した事は、今でも財産になっています。

 

大学・音楽コースへ行くまで

 中学生ではソフトテニス部に入り、チェロ・オーケストラも両立していました。この頃は、将来音楽を仕事にするとは夢にも考えていませんでした。

 高校生になり大学主催の夏休み音楽セミナーに参加した事が真剣にチェロに取り組む転機となりました。そのセミナーで、大阪教育大学のチェロ講師の方に個人レッスンを受け、それまで受けてきたレッスンより厳しい指摘をされました。

 それまでは、自分の演奏に自信を持てなかったのですが、自発的に練習していくと、なんとなく練習していた自分が変わっていく気がし、「もっと上達したい、この曲が弾けるようになりたい」という、はっきりとした目標ができてきました。

 その先生にもっと習いたいという気持ちから大阪教育大学 教養学科 音楽コースを進路に選びました。

 

大学入学からアール・エイチ・ワイ教室で教えはじめるまで

 大学生活がはじまると、音楽コースの女性の多さ(女性45人、男性2人)に戸惑いましたが、自分なりに厳しく音楽に打ち込んでいました。教育大学だったので、他の科目の授業(教職教養、数理科学、水墨画、バレエ)も受けられたのは、よい経験になったとおもいます。

 大学卒業後は「学んだことを活かしたい」と思い就職の道は選ばず、音楽の仕事を中心にしていく予定でした。実際は、音楽の仕事は少なく、大学のオーケストラの演奏員とバイトを掛け持ちしていました。

 音楽の仕事と、バイトの両立は、生活リズムが狂い練習時間もなかなか取れず大変だったのを覚えています。

 大学卒業後1年も過ぎた頃には、学生時代から演奏力の進歩がなく、漠然とした不安を感じていました。このままではいけないと思い、海外留学する道を調べはじめました。

 1年後バイトで貯めた資金を元に、NPO法人を通じてロシア、サンクトペテルブルグへ短期留学する機会をもつことになりました。

 ロシアでは、はじめての一人暮らしだったのでワクワクしていましたが、当分の間は普通の生活もままならず日々辞書を持ちあるく生活でした。鶏肉を買おうとして、表示の値段のお金をわたすと、1キロの鶏肉を買うことになってしまったり、フライパンを売っている場所がわからず、日本から持ってきた鍋で焼いて焦がしてしまったり、思い出には事欠きません。

 4カ月の留学期間は、劇場のチェロ奏者の方に週2~3のペースでレッスンを受ける事ができ、ロシア語も家庭教師の方にマンツーマンで習うことができました。とても熱心で根気強い教え方は日本で受けたことがない教育でした。社会主義の頃から伝わる英才教育・1800年代よりフランスから受け継いだ奏法を感じる事ができました。

 大変な事も多かったのですが、歴史的な建築物、一般市民に開かれている劇場、バレエ・オペラ公演、等 日本とロシアとの文化的な違いを感じられた事はとても有意義でした。

 帰国後、しばらくの間は、もう一度留学しようかとも思っていましたが、チェロの練習をしながらブラブラすごしていました。留学を終え半年もした頃、当時のアール・エイチ・ワイ音楽教室で講師をしている友人の紹介で、自分もチェロ講師として仕事をすることになりました。

 最初は、教える人数も少なかったのですが、音楽の仕事に携われて、嬉しく感じていました。

 

アール・エイチ・ワイで教えるようになってから

 音楽教室で教えることになり、「楽器を教える事」又、「人との接し方、話し方」について気づく事がたくさんありました。

 どんな楽器についても初心者は、どうしても力が入ってしまうことあります。僕もはじめて青少年オーケストラに入り練習していた頃に無理な力がはいってしまい、子どもながらに肩こりになった経験がありました。

 楽に弾いてもらえるようになる為に、どのようにして自分が今の弾き方になったのかを思い出し、弓の持ち方を毎回チェック、身体の感覚まで気持ちがいくような練習等を試しました。

 2015年で教えはじめて12年目になります。自分なりに、楽によい音で弾けるようになる練習方法を伝えることが少しずつできるようになってきているように思います。

 チェロを教える事をはじめ、自分の事にも置き換え、気が付く事が多くなりました。まだまだ未熟なところもありますが、「何歳になっても成長できる」ことを感じられて幸せに思っています。

 これからもチェロを教える事で、みなさんと共に成長し、豊かさを感じられる毎日を送っていきたいです。