粟津 由規 クラシックピアノ講師

プロフィール

私の出身は京都市で、実家の近くには桂離宮や鈴虫寺、苔寺、嵐山などの観光名所があります。小さな頃から、四季折々に違った表情を見せてくれる近くの名所が大好きで、今でも季節ごとに足を運んでいます。約30年間京都で生活し、今は、仕事に専念できるよう親元を離れ、尼崎で念願の一人暮らしを謳歌しています。

 

ピアノとの出会い~大学生まで

 自分では覚えていないのですが、私は転んでケガをしても泣くこともなく、歌を歌っているような女の子だったそうです。街角でピアノやエレクトーンの演奏が聴こえてくると、母が「帰ろう」と言っても、私はずっとそこから離れず聴き入っていた事がよくあったそうです。そのような経験があったからなのか、私は、物心がついた時からピアノを習いたいと思っており、5歳の時、両親にお願いして、ピアノを習い始めることが出来ました。小学生の頃は、私は、ピアノが好きでたまらなく、毎日、夢中になってピアノを弾いていました。中学校に入ると、「将来何になりたいか、どんな仕事をしたいか」と真剣に考えるようになり、私のピアノへの向き合い方も変わってきました。「自分の好きな事で楽しみながら仕事がしたい」と思うようになり、本格的に音楽の勉強を始めました。新しく先生を替え、自分がどんどん上達していく事、憧れの曲が弾けるようになる事が嬉しくて、毎日何時間も練習しました。

 高校進学は、音楽科に進むべきかどうか悩みました。当時の私は、ピアノ以外に英語や海外にも興味がありましたので、留学制度のある国際科への進学も考えていました。留学先によってはピアノが弾けない環境になる可能性もあり、ピアノがおろそかになってしまったらきっと後悔するだろうと思った事、また、音楽以外の経験が表現力を豊かにすると当時のピアノの先生の勧めもあり、普通科へ進学することにしました。高校生になると、ピアノのレッスン以外にもソルフェージュのレッスンにも通い始めました。練習時間が夜遅くになることも度々ありましたが、両親や友人達のサポートもあって、ピアノと学業を両立することが出来ました。

 大学は、相愛大学音楽学部ピアノ専攻へ入学しました。大学では、初めて、音楽を共有できる仲間が出来たのが何より嬉しく思いました。色々な楽器の人と演奏できた事や、そこからみんなで音楽を創る楽しさや難しさなど、様々なことを学びました。技術的な壁にぶつかることも有りました。大学2回生の夏休みに与えられた課題では、それまでの私の弾き方ではどうしても弾くことが出来ませんでした。自分のこれまでのテクニックを一からやり直してみようと決め、指の動かし方、体の使い方を試行錯誤し、体が覚えるまで毎日何時間もピアノに向かいました。そこから弾くことが楽になり、課題をこなすことが出来ました。問題にぶつかった時、自分で考えて解決した経験そして、時間をかけて何か一つのことに取り組んだ経験は、現在、ピアノを教える中で、私の大きな土台になっていると思います。

 

ピアノ講師~中学講師~ピアノ講師

 大学卒業と同時に、RHY音楽教室でピアノ講師として、働き始めました。28歳までの6年間で延べ100人以上、3歳~80歳代の生徒の方まで幅広く担当させて頂きました。28歳の時、以前から興味があった公立の中学で教える機会を得て、一度、RHY音楽教室を退職しました。中学校では、課外事業等、音楽を教える以外に様々な事を経験することが出来、充実した教師生活でした。ですが、私には、ひとりひとりと向き合って音楽を教える音楽教室の方が向いているのではとふと思う事もありました。そんな矢先、RHYのオーナーから「戻ってきてほしい」と声をかけて頂きました。オーナーからそういっていただけた事は素直にうれしく、やはり、私にはピアノ講師が天職なのだと思い、RHY音楽教室に復帰することにしました。

 

一旦ピアノ講師を離れたからこそ、自分にとってこの仕事の素晴らしさを再認識できました。大好きな音楽やピアノに囲まれて仕事ができている事を、今とても幸せに感じています。そして、それはたくさんの生徒さんたちや周りの方々に支えられているからこそ出来る事だと感謝の気持ちでいっぱいです。生涯を通して、これからもたくさんの生徒さんとピアノや音楽の楽しさを共有していけたら、と思っています。