エレキベース&ウッドベース講師 大嶺泰史プロフィール

ベースの大嶺講師が紹介文を書いてきてくれたので、紹介します♪
学生のころの作文のようで、私はなんだか懐かしい気持ちにもなりました(´∪`*)
今後もいろんな講師の紹介をしていきます!ちなみに私も執筆中です(笑)
スタッフ 佐藤


 

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大嶺 泰史
甲陽音楽院卒業
アールエイチワイエレキベース、ウッドベース科講師
沖縄県宜野湾市出身

 

僕がベースに出会うまで
目の前は田んぼ畑、そして少し先には東シナ海の青い海が広がる沖縄県宜野湾市に僕は生まれました。幼少期にピアノを習い始めて小学校低学年まで続けていましたが、当時仲の良かった近所のお兄さんにサッカーを教えてもらうと、すぐにその魅力に取り憑かれてサッカー部へ入部しました。

当時はJリーグが出来たばかりでサッカー人気はとても凄かったのを覚えています。とても暑く刺すように痛い沖縄の日差しの下、僕も憧れのプロの選手を目指して毎日泥だらけになり家に帰っていました(今でもサッカー観戦は大好きです)。
 特に印象に残っているのはサッカー練習場の近くにプロ野球の横浜ベイスターズのキャンプ地があり選手は休憩中にも関わらず僕らとサッカーをしたり、近くの海に泳ぎにいったりと遊んでくれました。

中学に入るとサッカー以外に、エイサー(沖縄の伝統芸能)を始めました。基本的には住んでいる地区の10〜50歳ぐらいの男女で形成されていて、構成は男たちの打つ力強い大太鼓や小太鼓(パーランクー)、華やかな女性の踊り、旗頭やチョンダラーと呼ばれるピエロのような盛り上げ役もいて一つのグループを成していました。僕はパーランクーの担当で、今でもそのリズムは体に染みついています。僕の中で音楽を皆で楽しむ事を覚えた最初の時でした。

中学2年生になるとロックバンドに興味を持ち始めました。友達数人でグループを組もうという事になり担当楽器を決める会議を開きました。僕には兄がいて、兄はギターを弾いていましたので、自宅にギターはありました。会議の中で僕はギターを担当したいと言ったのですが、希望者が沢山いたのでじゃんけんで決める事に、、、そうなのです。僕が今仕事としているベースという楽器はじゃんけんで負けて泣く泣く始めた楽器だったのです。

ベースを始めて〜アールエイチワイに入るまで
 ベースを始めてからすぐにこの楽器の魅力に取り憑かれていきます(サッカーの時も言ってたな…)。沖縄では当時スタジオは少なく、予約が取れない時は公園や海に行って皆で練習していました。エレキの楽器なのにアンプに繋がず生音での練習でしたが、とても楽しかったのを覚えています。高校生になると音楽でプロとしてやって行きたいと思い、卒業後は音楽の学校へ進学しました。
 そこでの2年間は必死になって勉強しました。この時のさまざまな人たちとの出会いが今の僕を作ってくれています。

 音楽学校を卒業後、今まで習ってきた事を伝えていきたいとの思いから、アールエイチワイ音楽教室で、ベース講師として働かせて頂ける事になり、2015年現在で10年目になります。

ベースという楽器は音楽の土台を作っていく事が多く、その音の上に様々な楽器を乗せる事が出来ます、一度その魅力に触れるとやみつきになるかも…
 アールエイチワイのレッスンでは皆様にベースの楽しさ、そして音楽の楽しさを感じてもらえるお手伝いが出来れば良いと思っています。