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生熊 茜 (クラシックピアノ)

2015年3月 東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。
2018年3月  京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了。
2011年3月 大阪府立夕陽丘高等学校音楽科卒業。
現在、夕陽丘高等学校音楽科にて指導も務める。

2002年 第56回全日本学生音楽コンクール 小学校の部 大阪大会入選。
2003年 第57回 全日本学生音楽コンクール 小学校の部 大阪大会入選。
2006年 ピティナピアノコンペティション Jr.G級 金賞。
2007年 第61回 全日本学生音楽コンクール 中学校の部 全国大会 第1位。
2009年 ピティナ福田靖子賞選考会 奨励賞。
2009年 第63回 全日本学生音楽コンクール 高校の部 全国大会 第1位。
平成22~24年度 (財)ヤマハ音楽振興会音楽奨学生。


  周りの子たちに比べ、言葉を発するのが遅かった私を心配した母が、お友達作りのきっかけになればと、音楽教室に連れて行ってくれたことが、私と音楽との出会いです。そして、幼児科で出会った優しくて大好きな先生に憧れて、5歳半の頃からピアノを習い始めました。曲を弾けるようになると、先生がページいっぱいの大きなハナマルを書いてくださって、好きなシールやスタンプを選ばせてくださるのがとても嬉しくて、どんどん新しい曲へチャレンジしていたのを覚えています。

私が通っていた幼稚園では、特に音感教育に力を入れていました。厳しい先生方に、頑張ったときには褒めて頂きながら、音感の練習を頑張りました。卒園の年に、音感教育の成果発表会があり、約2000人の前で、独唱をする機会に恵まれました。舞台の底から湧き出てくるオーケストラの伴奏と、歌い終わってからの客席いっぱいのお客さまの拍手が、とても気持ちよかったことを覚えています。今になっても、人前でピアノを弾くことが大好きで、上手く弾けなかったり、失敗して落ち込むことがあったとしても、次に舞台で演奏をするのが待ち遠しくなるのは、この成果発表会での経験のおかげだと思っています。

  小学生になると、ピアノ以外にも、お習字、バレエ、水泳の短期教室に通ったり、クラブ活動をしていましたが、気付けばピアノは、自分の中でどこか特別な存在になっていました。

小学2年生になった頃、ショパンコンクールのテレビ番組を観ていた時に、コンクール優勝者の中国人ピアニストが、中国の音楽学校に通っていることを知りました。「私もこの学校へ行ってピアノの勉強をしたい、中国へ行く。」と言い出したそうです。日本でも同じような環境はないだろうかと、母が探してくれたのが、大阪府立夕陽丘高等学校の音楽科です。実際に、学校説明会へ連れて行ってもらい、綺麗な校舎やグランドピアノが置いてあるたくさんの練習室、専用の音楽ホールを目の当たりにし、憧れが強くなり、「絶対にここへ入学する」と決めました。御守りにするために、帰りに校門の前で写真を撮ったほどです。

こうして、憧れの夕陽丘高校を目指すため、本格的にピアノを頑張り始めました。

  中学生になっても気持ちはぶれることなく、他の習い事も辞め、ピアノに専念しました。

そして、憧れの夕陽丘高等学校に入学することができました。年に1度、NHK大阪ホールで行われる定期演奏会、普通科との合同の体育祭や文化祭など、全ての学校行事に全力で打ち込むことのできる、素晴らしい環境でした。クラスメイトにも恵まれて、本当に楽しい高校生活を送ることができました。音楽科ヨーロッパ研修旅行では、オーストリア・ウィーンを訪れ、初めての海外経験、西洋音楽の本場でのコンサート、レッスン、観光を経験できたことも、大切な思い出です。

充実した毎日はあっという間に過ぎていき、卒業後は、高校の先生方の勧めもあり、東京藝術大学へと進学することとなりました。

  目前に控えた東京での新生活スタートになかなか実感が湧かず、のんびりと上京準備をしていたときのことです。『東日本大震災』が起こりました。次々とテレビで映される信じられない光景、拡がる被害。大混乱の中での上京になり、次いつ起こるかわからない何度も何度も起こる余震への恐怖、鉄道や物流への被害、そして入学式の中止…普段の生活で当たり前に思いがちなことが、何よりもありがたいことなのだと、身を持って学びました。

大学生活は、日本全国から同じ志を持つ仲間が集まり、一瞬で世界が広がるような、とても刺激的なものでした。次々と与えられる課題をこなしていき、弾くだけで終わりにするのではなく、譜面からいかに作曲家の意図を読み取るかを常に考えさせられる、毎週のピアノのレッスン。先生方や仲間と話したり、お互いの演奏を聴くことで、音楽の世界で生きていくことの厳しさを痛感したりと、充実した日々を送ることができました。

中学生の頃お世話になっていた先生の「取れる資格はきちんと取ってきなさい。」というお言葉もあり、教職課程の授業も履修し、頑張って高等学校音楽の教員免許も取得しました。

大学4年生になった時、果たしてこのまま大学院へ進学し、勉強を続けていて良いものかと、悩みました。先生や周りの仲間と相談する中、「やはり私にはピアノしかない」「生まれ育った大好きな関西で、音楽の仕事をしたい」と、強く思いました。

関西で音楽の仕事をするために、より専門的な知識をつけようと、京都市立芸術大学大学院への進学を決めました。

  RHYとの最初の出会いは、小学4年生の時です。

梅田のザ・フェニックスホールでのコンクールに挑戦することになり、本番の順番がとても早く、朝9時にホールに来るよう言われていました。防音上、自宅では練習していけない、でも少しでいいから練習して行きたい。そんな時、唯一朝早くから練習室を貸してくださったのが、RHYでした。そこから毎年このコンクールに挑戦することになるのですが、なぜか朝早くの順番に当たることが多く、その度に貸して頂きました。おかげさまで、朝早くてもいつも通りの演奏ができ、時には嬉しい結果がついてくることもあり、とても助かりました。

大学院へ入学後、学校の掲示板で、偶然、RHYの講師募集を見つけました。練習室を貸してくださったことを思い出し、これはご縁だと思い、すぐに履歴書を送りました。スタッフの方々、他の講師の方々があたたかく迎え入れてくださり、そして、生徒さん達との出会いがあり、『ピアノの先生』としての第一歩を踏み出すことができました。

  家族は、金銭的な面はもちろん、休日のお出かけひとつにしても、常に私のピアノを中心に考え、支え続けてくれました。そして、たくさんの先生方が支えてくださったおかげさまで、これまでピアノを一度も嫌いにならず、楽しく、音楽と共に成長することができました。

音楽の楽しさを教えてくださった先生、ピアノを弾く上での基礎を固めてくださった先生、音楽への向き合い方を、そして音楽の世界で生きていく厳しさを教えてくださった先生。たくさんの素敵な先生に出会う度、「こんな先生に私もなりたい」と、『ピアノの先生』という職業に憧れてきました。

『ピアノの先生』の第一歩を踏み出すことができた今、自分を見つめ直すことが増え、これまで先生方から教わってきたことが理解できるような瞬間が多くあります。教わる立場とは違う発見の連続です。

  お世話になった先生方のような『憧れの先生像』に少しでも追いつけるように成長していくこと、そしてこれからもずっと音楽と共に生きていくことが、私の目標です。

   「レッスンに来て良かった」「今日も楽しかった」と思っていただけるような、そして1つでも何かを得て帰っていただけるような、お一人ずつのレベルやペースに合わせたレッスンを心がけています。一人でも多くの方にピアノに興味を持っていただき、ピアノを通して、音楽の楽しさ、ピアノの魅力をお伝えすることができれば、嬉しいです。

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